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蚊帳の起源

蚊帳の起源はとても古く、昔の書物を参考にその起源をたどることになります。
以前、弊社社長が蚊帳の起源についてまとめたお話をこちらに載せさせていただきます。
長いですが、最後までご覧いただけたら幸いです。
蚊帳朝の目覚め
【朝日を浴びる蚊帳】

蚊帳の起源は遠く古代にさかのぼり、「播磨風土記」には、応紙天皇が播磨巡行のと賀野里(かやの) に御殿をつくり蚊帳を張ったので「カヤノ」と名づけたという話が出てくる。光明皇后が、聖武天皇の遺物を東大寺に納められた品目の中に、蚊帳が記されている。
 又、鎌倉時代の絵巻物「春日権現験記絵」には白い蚊帳が描かれている。室町・戦国時代には貴族や武士の間で、紗の蚊帳が用いられるようになった。
 江戸時代にはあ、四隅に環の吊り手をつけた麻蚊帳が作られていた。しかし、この蚊帳は高嶺の花であり、庶民はもっぱら紙の蚊帳「紙帳(しちょう)」を使っていた。紙帳と言えば風流に聞こえるが、実際は紙を張り合わせた蚊帳の所々を切り抜いて紗の生地を貼り付けたものだった。紙帳は江戸時代にかなり広く用いられ、地方では明治時代も用いられたと言う。
 奈良において蚊帳が作られたのは、江戸時代の中期・奈良市東部の布目川流域の邑地付近は麻の栽培が盛んで、麻糸を原料にした蚊帳が織られ、「邑地蚊帳」と呼ばれたのが始まりとされている。しかし、昭和の初期までは農家の副業として作られ、生産もわずかなものであった。
本格的な蚊帳の生産は明治に入ってからであった。明治二年、高価な麻糸に代わり縦糸に綿糸を使用したものが考案され販売が始まった。さらに、明治十年ころ、縦糸・横糸共に綿糸を使用した「綿蚊帳」が勝村直助によって考案された。
 「綿蚊帳」の誕生は奈良蚊帳にとって画期的な出来事であり、安価で実用性に富んだものとして着実に販路を拡大し、今日の奈良蚊帳の地位を築いていくことになった。
 需要の増加に支えられ生産量は大幅に増え、それにつれて機械化が進められるようになり、奈良県への蚊帳の生産が集中した。業者っも添上・生駒・葛城郡一円に広がった。
 明治・大正・昭和の前半と増加の一途をたどったが、環境衛生の改善、農薬の散布、殺虫剤等による蚊の発生激減、住宅構造様式の変化、サッシやクーラーの普及により、昭和三十八年をピークに減少した。
 蚊帳のもつ情緒と風情、また自然と暮らしてきた蚊帳は、開放的な日本の住居の中で、密室化せず光や風を通す安定的な空間を創り出す。そのため、現在でも自然と親しむ風情ある生活が見直され、夏の風物詩として楽しまれている。
 また、ベビー蚊帳や食卓覆いも蚊帳生地を使った商品として、夏の必需品とされている。

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